昭和41年10月25日 夜の御理解



 今日も、福岡から参ってきたある方が、座るとこう眠る、やっぱ病的なんですね。本当にそのまあ難儀をする訳です。人とこう対談しよっても、座ってから話しよりますと、どうでもしよっても、その眠ってしまう。どうぞおかげ頂きますように。もう大体そのことをお取次さして頂いてから、申しましたんですね。けれどもねもし眠れなかったら大変ですよと私が言うた。やっぱりお礼を申し上げることが大事ですよ。
 そりゃもうああたが、その眠ろうと思うけれども、眠られないというなら、それこそノイロ-ゼになって、もう人の前で眠ったぐらいのことはいいですよまだ。だからそれは眠ることにお礼ば申し上げにゃいけませんよ、と云うたら。はぁそうですねと、こう云うたが、心から本当にそれが云えたら眠らんようになりますでしょう。微妙ですね、信心のおかげというのは。どうぞ、頂きたい、頂きたいという時には、頂けずにですね。どうでも良いというような気持ちになったら、おかげ頂くんです。
 そこで、信心はね、おかげおかげと云わずに、信心を分からして頂くということに、椛目通いは、しなきゃいけんという風に私が云うのも、やっぱそういう理なんです。ぎりぎりのところは、例えばもう死ぬるか生きるかと、いったような場合もです。もう死んでも良いという気になれと。死ぬまいと思うから心が疲れる。その疲れるのが、いわば病気をいよいよ重くしてしまう。
 これは、戦時中に、あれは何とか云いましたね。山下奉文さんという大将がおられました。その方の参謀をしておられる方でした。ありゃ何というか栗屋さんち云うたですかね、ああ栗屋さんち云いました。ここの金島か大堰かどこかの、久富先生とこの遠縁にあたる方です。その方達が、あの何ですかね、あの山下さんの参謀で刑にあわれなかったのは、この方が一人だと云われてます。
 なんですか、大変おかげ受けた方なんです。それであの、お婆さんという方が非常に熱心なお道の信心頂いておられる訳ですね。それでその陸大に行かれる時でも、やはり、あの金光様にお伺いをさして頂いてから、陸大を選ばれたという位ですから、やっぱりおかげを頂いておりますですね。最後の最後までおかげを頂いて、もう帰られたはなは、もうMPがもうつきまとうておったんです。
 けれども結局助かられた。ところがその夫婦とも胸の病気で倒れられたんですね。丁度その頃私が修業中の時分で御座いましたから。その話を聞かして頂いて是非いっぺんお話にきてくれと、いうことでございましたから参りました。参りましたらね。もうそれこそ何と云うですか、その奥さんという人は何とか宮様の、大変なそのやはりインテリなんですね。信心で病気が治るなんてといったような、もうそれこそもう寝とってからもう明日も分らんごたる風な、痩せ細った状態をしとられるけどもです。
 信心でようなるなんてと云うて、もうとにかく、鼻で笑われるような感じの人でした。けれども、その栗屋さんという方は、さすがにですね、また奥さん程にひどくなかったです。床の上から起き上がって、私の話を、まあいちいちこう合点しながら聞いて下さったんですけれど。もう大変律儀な方でした。それからあの、まあ事のついでですからお話しますと、私そん時こういうようなお知らせを頂いたんですね。もうこういう御理解を私が、あの二人の枕元で話したことでした
 。例えて云うならばですね。ここにあの堀の濁った水の中で、魚がアップアップ云いよる、水が濁ったから。アップアップその魚が云いよる訳です。もう白い腹見せとるのもある位です。ですから、ならこれを可愛そうだというので洗面器の中へ移しますと、成程、きれいな水になるから、ピチピチする、元気になるけれども。さあ一日も二日も、三日もというようなことは出来ん。又、水を取り替えなければならない。いや取り替えとっても、やはり段々痩せ細っていって、死んでしまうのだと。
 さあ病気をする、きついから注射、きついからさあ医者だ、病院だと云うのは、丁度この魚がアップアップ云いよるのを、きれいな洗面器の水に移すようなもんだと。信心とはその根本的なところから助かっていくのだ。それで、どうしてこんなに水が濁っておるのかと。どうして、こんなにアップアップ云わなければならんのかと。どうして、人に嫌われるような、こんな病気を夫婦の者がしなければならんのかという。どうしてということが分かるんだと。本当にそのことを、私、お話いたしましたら。その栗屋さん、一生懸命そのお話を聞いて下さったんです。
 それから、二、三日しましたら、その、ここへお礼に出て見えられました。そして、そのあすこにかかっております、カレンダ-のあれを見てからですね。もうそれこそ翻然として大悟されたという感じでしたですね。悟られた。それが、只今私が、一番はじめに申しますように、死ぬまいと思う心がつかれる、という事である。それは、自分達も、それこそ実戦の中で、敵の弾の下をくぐってきておられる方ですから。
 そういう意味の度胸は出来ておられる。あの山下奉文という方は、あの天津の市街戦の時なんかはですね。それこそ、雨あられのように飛んで来る、鉄砲の弾の中をですね。それこそ、もう馬に乗られてから、こう頭も下げられなかったそうですね。もう死ぬまいというようなことなんかは、もう超越しておられたらしいです。たしかに偉い方だったらしいですね。栗屋さんが話しとられました。
 けれども、勿論、ああしてあの終戦になつてから、ああいう刑にあわれましたけれどもです。戦争では、弾の下くぐられたけれども、おかげ頂かれたということでした。そういう中を通ってきておられますから、その御教えがピンときたんですね。はあ死ぬまいと思う心、先生この御教えは素晴らしい御教えですね、と云うて、もう大変感激して帰られました。そういうようなことから、あの奥さんも非常に熱心に神様に、すがられるようになり、夫婦とも助かられました。
 東京に行かれ、現在では横浜に居られます。大変りちぎな方ですが、もう盆、正月には必ずそのお礼のお届けがございますがね。ま話は余談になりましたけれどもです。おかげを頂く、そのおかげを頂く状態というものを、只今私が申しましたように、もうどうも、いわゆる眠り病でどうにも出来んと。けど眠ることそのことが悪いことじゃないて。もう眠らなかったら大変だと。はぁしてみると、眠ることも、やっぱおかげだと分れば、おかげになるのです。
 百八十万の借金が、五年経っても六年経ってもしまえん。毎年毎年、利払いばっかり。あーぁいつまで経つたら、この元金が、払われるじゃろうかというような、心の中ではです、本当のおかげにならん。だから、その百八十万の借金というものは、忘れてしまえと。もう毎年、利払いが出来りゃ結構なんだ、もう無いものと思え。そういう心にならせた頂いたらです、おかげになる。又、それから先には、心配する心で信心せよ、ということが御座いますよね。
 それでもやっぱり、はあそうだとこう思うてもですね、そのやっぱり百八十万のことが心配になる。そんなら、その心配する心で信心せよ。心配する心でそれが心配ならん位な、ひとつ修業でもさしてもらうところからです。そのことが、心配ならんで済むようになり、いや、利だけでも払わして頂きよることが、有難いということが分かってくる。そしたら、おかげになるです。死ぬまいと思う心が疲れるのである。ままよと、ままよという心を出せば、おかげになると教祖が仰る。
 ままよとは、死んでもままよの事だとこうおっしゃる。そういう度胸が出来る時です、確かに心が楽になる。楽になるその心が、いわゆる鉄砲の弾もあたらんというような事になってくるのです。ままよという、その心が私共の心を作り、又は助けるのです。どうぞ、ひとつ今日、同じ事をさまざまな例をもって申したんです。どういうような場合でも、だからそこんところが、私共はやはり完璧でないですから、やはり心配するなと云われても心配する。
 はあほんにそうたい死ぬまいと思う心が疲れるのだと、例えば分かるんです。だから死んでも良いと言う様な度胸が出来る。けれどもやっぱりその合間合間にふっと、ああもし死んだらどうするだろうかという気持ちが起こる。その心を修業によって私は補うていかなければいかん。いわゆる心配する心で神様に打ち向うていく、そういう信心そこにおかげの頂けれる場というか、おかげを頂けれる心の状態というのが頂けれるんですね。     どうぞ。